短歌を作ってみました。

関西在住のオヤジです。どうぞよろしくお願いします。

ある日の社員食堂

「たおやめ」の語義を教える
二年目のイケイケ女子が
新人男子に

 

 

 ある日のこと、社員食堂で、入社2年目の短大卒のイケイケ女子が、新人の男子に何やら話しかけています。理想の女性像についての話らしくて、彼女が「たおやめのようにナントカカントカ」と言っているのに対し、男子はポカンとしています。それで彼女が「たおやめって知ってる?」と彼に尋ねますと、「知らない」と答えます。彼女は私に向かって「知ってますよね?」。私は「うん」

 漢字で「手弱女」とも書く「たおやめ」は、まぎれもない素敵な大和言葉です。でも、そうした古風な言葉を口にした彼女にちょっと意外な面を見て、そっちの方に驚きました。たぶん学校の古典の授業か何かで習ったんだと思いますが、ちゃんと心に留めていたんですね。でも、たわいもない会話の中のそんな一言で、なんだか彼女への印象が変わった瞬間でありました。

 

 

文鳥

文鳥
肩から下りて邪魔をする
キーボードの上に糞もする

 

 

 よほどキーボードが興味深いのか、私が操作していると、その上をぴょんぴょん跳ね回ります。しばしば私の指が足を挟んだりして、ピキーッと悲鳴を上げます。肩の上に戻しても、すぐに降りてきて、同じことの繰り返しです。時おり糞もします。

 

曾根崎恵美寿

路地裏に
ひょいとまします恵美寿さま
キタの新地に福をもたらす

 

 

 不肖私が愛してやまない大阪・北新地に「蜆楽(けんらく)通り」という細い路地があります。北新地には、昔は蜆川(しじみがわ)が東西に流れ、その両岸にお茶屋が軒を連ねて、川にはお客や芸者をのせた舟が行き来し、華やかな花街の賑わいを見せていたといいます。しかし明治40年の大火で、蜆川は焼け跡のがれき捨場となったため、川全体が埋め立てられてしまいました。

 その蜆川に架かっていた「曾根崎橋」から通じる一本の生活路地だったのが、当時の面影を今に伝える「蜆楽(けんらく)通り」です。路地には「曾根崎恵美寿」が奉られており、北側の入口から路地に入ると、小さなお社が、ひょいと現れます。中の恵美寿さんは、大きな鯛と徳利を持ち、笑顔で佇んでいらっしゃいます。

 

昔のパソコン

あのころのパソコン憎し
保存せぬ時に限って
強制終了

 

 

昔のパソコンの思い出

  • 起動にめちゃくちゃ時間がかかった。
  • 記録媒体がフロッピーディスクだった。
  • ソフトのインストールも何枚ものフロッピーを順番に入れてやっていた。
  • ネットがめちゃくちゃ遅かった。
  • ネットに接続するとき「ピーギョロロロロ」と妙な音がしていた。
  • ネット上の画像が少しずつ表示された。
  • Officeのイルカが役に立たないうえに邪魔だった。
  • ネットが従量課金制だった。
  • 「電源を切る準備ができました」と表示されてから電源OFFしていた。
  • 個人ホームページでキリ番が盛り上がっていた。
  • ポストペットが流行った。
  • ネットの入口はもっぱらYahoo!だった。
  • CD-ROMに記録するのを「CDに焼く」と言っていた。
  • 数年使っていると筐体が黄ばんできた。
  • マウスにボールが入っていた。
  • ソリティアマインスイーパーにハマっていた。
  • ワープロソフトといえば「一太郎」だった。
  • ソフトに付属するマニュアル本がめちゃくちゃ分厚かった。