野暮天を
あえて装う風流士
据え膳食わぬ男の美学
『万葉集』にこんな話が載っています。男に片思いをしていた女が、ある夜、老女に変装し、「東隣に住む貧しい老婆です。火種がきれてしまいましたので、お貸しください」という口実をつくって、男の家にやって来ました。ところが期待に反し、本当に火種を貸してくれたのみで帰されてしまいました。
女は、恥をかかされたと思い、次の日、男に「みやびなお人だと聞いていましたのに、私をそのまま帰してしまうなんて、何と野暮な風流士ですこと」という皮肉を込めた歌を贈りました。
男はこれに対し、「私こそが風流士です。あなたと一夜を共にすることもなく帰したのですから、私こそ本当の風流士です」と答えました。男は、女の恥ずべき振舞いに、それと知っても、わざと知らぬふりをしたのだと言外にいって返歌を贈ったのです。
「風流士」とはそもそも「風流秀才の士」、また大宮人(公家)の風情をもった人のことをいいますが、ここでは恋情の機微がわかる人、物わかりのよい人の意味で使われています。「据え膳食わぬは男の恥」などもいわれますが、はたして本当の風流士とは、どちらの場合をいうのでしょうか。