短歌を作ってみました。

広島出身、関西在住です。よろしくお願いします。

古典・歴史

『おくの細道』から

花ならば八重撫子の名の如く曾良が感じた「かさね」という娘(こ) 『おくの細道』の「那須野」から(現代語訳)―― 那須(栃木県)の黒羽という所に知人があるので、これから那須野を横断して、まっすぐ近道を行くことにする。はるか遠くに一つの村を見つけ…

徳川慶喜公

憲法の成るを慶ぶ慶喜公大所高所の国の恩人 よく、明治維新の功労者として評される坂本龍馬ですが、一人の藩士にできることには限界があったでしょう。やはり権力を有する立場にあって、その決断によらなければ、あんなに大きく国を動かすことはできなかった…

『源氏物語』の末摘花を詠む歌

紅(くれない)の末摘花の面影に秘めたる誠なお色褪せず 落ちぶれた宮家の姫君・末摘花(すえつむはな)は、光源氏とかかわりのある女性の中では最も醜く、古くさくて無粋な女性として描かれています。末摘花は紅花(ベニバナ)のことで、その女性の鼻が長く…

『源氏物語』の明石の上を詠む歌

風波に心が揺れる明石の上京の源氏を恋いて泣く夜 明石の上は、光源氏が須磨へ蟄居したころに出会い、のちに女児(明石の姫君)を出産する女性です。父親である元受領の明石の入道が、「娘が国母を生むと」という夢のお告げを信じ厳しく育てたため、教養・気…

貧者の一灯

まごころを込めた老女の灯火(ともしび)は風にも消えず夜どおし燃える 故事成語の「貧者の一灯」を題材にしました。その意味は、貧しい者の心のこもった寄進は、金持ちの虚栄による多量の寄進よりも価値がある、まごころの貴いことのたとえです。古代インド…

哀駘它(あいたいだ)

万人に愛されし人、哀駘它内に静まり外に乱れず 古代中国の衛(えい)の国に、哀駘它(あいたいだ)という、全く風采のあがらない男がいました。ところが、彼と接した人たちは、みんな彼を慕って離れようとしません。誰もが「あいつはいい男だ」「あんな気持…

班倢伃(はんしょうよ)

寵愛を辞して諫めた班倢伃君子の得べき高潔の美女 古代中国の君主に寵愛された女性たちには、妲己(だっき)や楊貴妃(ようきひ)のような、いわゆる「傾国の美女」が少なくなかったわけですが、なかには真逆の高潔な女性もいました。前漢の時代、第11代皇帝…

望郷

故郷を思う胡馬の北風に依る如く越鳥の南枝に巣くう如く 中国の『文選』という詩文集のなかに、遠くへ去っていってしまった夫を思う妻の「行行重行行」という詩があります。その中で妻が、「北の国に生まれた馬は、南方に移されても北風に向かって身を寄せ、…

『源氏物語』の若紫を詠む歌

雀の子を逃がして泣いた若紫涙こすって頬赤くして ―― 十ばかりにやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子(をんなご)、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、美しげなるかたちなり。髪は、扇を…

平忠度の都落ち

俊成(しゅんぜい)が選びし和歌は朝敵の詠み人知らず忠度(ただのり)無念 木曾義仲の軍勢が都へ迫り、平家一門は西国へ落ち延びていく。その中で、薩摩守忠度(ただのり:清盛の弟)は途中で引き返し、歌道の師であった藤原俊成(しゅんぜい)の邸に立ち寄…

蕙蘭(けいらん)

麗しさを内に秘めたる蕙蘭の摘む人なくてやがて萎れゆく 中国の詩文集『文選』にある「冉冉たる孤生の竹」という詩を踏まえています。睦まじくあるはずの新婚夫婦が、何らかの事情で遠く離れ、一人で暮らす新妻の寂しさと不安をうたった詩です。ずっと会えず…

光明皇后

ご署名の「藤三娘」に藤原の誇りと愛嬌あふる光明子 「藤三娘」は「とうさんじょう」と読みます。正倉院の宝物の中に、光明皇后が、中国の王羲之筆とされる楷書の法帖を書き写した『楽毅論』が残されています。正倉院の書跡中の白眉とされ、その力強く朗々た…

熙子

月寂しかかる夜には芭蕉翁の明智の妻の咄し聞きたし 松尾芭蕉の「月さびよ明智が妻の咄しせむ」という句があります。「寂しい月あかりのもとだが、明智光秀の妻の昔話をしようか」と、おそらくは光秀がまだ貧しかったころに、妻の熙子が黒髪を売って金を工面…

正香(せいか)

あの人の正香に触れてハッとする嬉しくあるも心は惑う 大好きな人や憧れている人の、いわゆる”素(す)”の部分をふいに垣間見た時は、何だか心躍るような嬉しい気持ちになります。同時に、見てはいけない姿を見てしまったような気もして、何だかドキドキして…

御成敗式目

泰時が真心こめた式目は道理を守り六百年も 鎌倉幕府の3代執権・北条泰時が中心になり、幕府の要人らの協議によってつくられた「御成敗式目」は、全51か条からなる武士政権のための法令です。源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をも…

風流士

野暮天をあえて装う風流士据え膳食わぬ男の美学 『万葉集』にこんな話が載っています。男に片思いをしていた女が、ある夜、老女に変装し、「東隣に住む貧しい老婆です。火種がきれてしまいましたので、お貸しください」という口実をつくって、男の家にやって…

赤猪子(あかいこ)

赤猪子が御召しを待った八十年乙女心の純真哀れ 英雄的な君主とされる雄略天皇は、5世紀後半の第21代天皇です。歌をよくし、その霊力によって女性や国を獲得したという伝説があります。その雄略天皇について、『古事記』下巻に、次のようなエピソードが載っ…

保科正之

定信(さだのぶ)に顰(ひそみ)に倣うと言わしめた正之公の生きざま清(すが)し 私は、数多い歴史人物の中で、保科正之(ほしなまさゆき)という人が大好きです。是非ともNHKの大河ドラマに採り上げてほしいと願っています。しかし、知っている人は知って…

七夕

織姫の章(あや)なさずして流す涙今宵逢えるか天の河原で 古代中国に発する「七夕伝説」の原型は、牽牛と織女の二つの星が、向かい合ったままいつまでも結ばれない、というものだったそうです。それが魏晋の時代になって、二人を隔てる天の川に、年に一度カ…

織姫

織姫の織りなす糸の跡となり天の川原に星の流れる あの人の言葉 歌はもののあはれを知るよりいでくるものなり。 ~本居宣長『石上私淑言』 ランキング参加中はてな文芸部 ランキング参加中言葉を紡ぐ人たち

大阪の夕陽丘

家隆が愛でた入り日の夕陽丘波見えずとも七坂のこる 大阪市天王寺区に、夕陽丘(ゆうひがおか)という地名があります。名前の由来は、鎌倉時代初期の公卿で歌人でもあった藤原家隆(ふじわらのいえたか)が、出家してこの地に「夕陽庵(せきようあん)」を設…

振り返る亀

四度まで振り返り行く亀の恩後(のち)の出世に孔愉(こうゆ)は悟る 『晋書』に、次のような話が載っています。ある時、孔愉(こうゆ)という男が道を歩いていると、亀を捕えて籠に入れている者を見かけました。孔愉は憐れんで、何とか助けたいと思い、亀を…

『源氏物語』の夕顔を詠む歌

たおやかな夕顔のこころ見抜けずに頭の中将の薄情かなし いわゆる「雨夜の品定め」の場面での、頭中将(とうのちゅうじょう)の語り、「まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙を漏らし落しても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、つらきをも思ひ知…

藤原京

藤原の都人らの囁きが聞こえるような大和三山 大和三山(やまとさんざん)は、大和平野の南部、奈良県橿原市に位置する3体の山をいい、平成17年(2005年)に国の名勝に指定されました。 香具山(かぐやま) 標高152m畝傍山(うねびやま) 標高199m耳成山(…

孤悲

私へのあなたの気持ちはただの「恋」私の恋は、悲しみの「孤悲」 『万葉集』の恋の歌で使われている「恋(こひ)」の文字のなかには、「孤悲」の二字で書かれている例が30ほどあるそうです。万葉仮名には正訓の文字もあれば、単に音を当てはめた音仮名もある…

『源氏物語』の空蝉を詠む歌

許されぬ源氏の愛に堪えかねて人妻の身を悔やむ空蝉 光源氏の強引な求愛に抗うことができなかった空蝉(うつせみ)。人妻の身にはあるまじきことと憤るものの、「いとかく憂き身の程の定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじ…

言問橋(ことといばし)

業平かはた団子屋かまっすぐな言問橋の名前のいわれ 東京・浅草にある「言問橋」は、かの川端康成が、その直線の美しさを褒め、「言問は、男だ」と言ったとか。また、風情のあるその名の由来は、在原業平の「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はあり…

万葉集

上代の男女が詠んだ恋の歌今の我らと何も変わらず ランキング参加中はてな文芸部 ランキング参加中言葉を紡ぐ人たち

『詩経』の「静女」から

この花が美しからずあなたからもらったものだから美しい 中国でもっとも古い詩集の『詩経』のなかに、男が愛する女のことをうたった『静女(せいじょ)』という詩があります。「静女」というのは美しい女性を意味します。男は、待ち合わせ場所でようやく逢え…